自分にとって何が一番幸せか?
この問いに、若いころから考え続けてきたが、
現在の私が考えるその問いの答えは、
「幸せであると感じられる心を持つこと」だ。
たとえ他人から見て幸せな状況にあったとしても、
自分がそれを「幸せ」と認めない限り
幸せだとは思えないのだから。
一般的には「良くない」と思われる「現象」に出合ったとしても
その「現象」に意味合いを付けるのは自分の心次第。
考え一つで、その「現象」はプラスにもマイナスにもなりうる。
例えば
「退職する」という「現象」があったとして
「明日からどうしよう。なんで自分ばかり」とマイナスの感情を持ち続けるか、
「新しいスタートを切るためのチャンスを与えられた」と前向きに考えるか。
どちらを選ぶのも、そしてその感情を持ってその後の人生を生き続けるのかを決めるのは
自分の心持次第。
見えないものを見る
先日、美輪さんの言葉を見つけた。
「肝心なのは、幸せか不幸せかは自分の心持ち次第ということ。地獄も極楽もあなたの胸三寸にあるのです」(「私の人生論 目に見えるものは見なさんな」美輪明宏著)
本当にその通りだな、と思った。
自分の人生で起こるすべての出来事には意味があって
その出来事をどうとらえるかは、その人の気持ち次第
そのとらえ方によって、その後の人生の展開が違うと思う。
新約聖書の一説にも同じことが書いてある。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:18)
人生において大切な事は、昔から言われ続けていたんだと気づく。
常識にとらわれない生き方
現在は「見えるものこそが真実」という常識のもとで、
見えないものをないがしろにしつつある。
見えると思われているものは本当はエネルギーや波であり、
局在していないのが真実だという世界なのに
なぜ見えるものに価値を置いているんだろう?
なぜそんな考え方が「常識」と言われているんだろう?
「常識」は、時代とともに変化する。
だからそんな「常識」には惑わされずに
見えないものを見る事を大切に過ごしていきたい。
現実は自分の心持ち次第で、幸せにも不幸にもなるという事は、
この世界は自分の思考一つで、どうにでもなる可能性があるという事。
思考が現実を作っているのかもしれないな、と思った。
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