朝、起きて当たり前のように朝食の準備をする。いつもどおりに食事をする。「そんな事は当たり前」と思うかもしれないが、この当たり前ができる事は素晴らしい事だと気づくようにしている。
ベッドから起き上がるために体を動かすこと、ベットから出てキッチンまで移動すること、珈琲を入れるための準備でカップを手に取ること、豆を挽くこと。程よい量のお湯を加減しながらポットから出すこと。ポットを最初にあった位置に戻すこと。
ここまでの準備だけでも、たくさんの動作が関係している。これだけの動作をひとつずつ意識しながら行ったことがあるだろうか?いつもは寝ぼけながら、または無意識の上で、単なる作業として行っていたことに気づく。
私たちは無意識に体のあらゆる部分を巧みに操り動かすことができる。一つの動作をするだけでも多くの筋肉、細胞が連携を組み働くからこそ可能な事なのに、私たちはそれができて当たり前と思ってしまう。
本当に当たり前なんだろうか?
例えば腰が痛くなった時に初めて腰の大切さ、重要な事に気づかされる。目の前の物を取る事にしても腰が軸となって体を動かしていることに気づく。ただ立ち上がる動作でも、腰がどれほど重要な働きをしていたのかに気づく。失って初めてありがたさに気づく事がなんと多いのだろう。
一つ一つの動作を注意深く観察することで、これらの奇跡を新ためて実感することができる。そのすべてが当たり前ではなく、とてもありがたいこと、幸せな事だと感じられる。
呼吸する、心臓が脈を打つ、意識的にではなくてもこれらの臓器、細胞は連携して働いてくれる。私達人間の活動を維持するために、四六時中働き続けていてくれる。これがどれほどありがたいことか。どれほどの奇跡なのか。
「自分は何もできない」と思っていても、注意深く確認するとたくさんの事が出来ていた自分に気づく。
それなのに、このぐらいは「当たり前」と思い込んで、できる事に感謝するのを忘れる。できることのありがたさを忘れる。そうして「できないこと」ばかりに注目をした毎日を過ごしがちではなかっただろうか?
目の前の「できる」にもっと気づきたい。
「できない」ことばかりで自分を非難しがちな自分に、
「きちんとできているよ、すごいよ、えらいよ」
そう褒めてあげたい。
そうして毎日、私の生活を支えてくれる体に「ありがとう」と感謝の気持ちを忘れずに日々を送りたい。
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