私たちは”現実”をそのまま見ていない

私たちは目の前の現実をそのまま見ていると思いがちですが、でも本当にそうでしょうか?

認識の旅シリーズで、私たちはこの世界をどのように捉えているのかを量子力学、哲学者たち、そして心理学的な観点から覗いてきました。

シリーズ最後は「果たして私たちはこの世界をありのままに見ることができるのか」をテーマとして考えていきます。

目次

見えている世界は”すべて”ではない

毎日同じ道を通っているのに「こんな建物があったのだろうか?」と気づいたことや、探し物をする際に何回も見たはずなのに見つけられなかったなどの経験は、誰にでもあるのではないでしょうか?

私たちは非常に多くの情報に囲まれて生活しています。そのため、対象が視野に入っていても注意が向いていないために見落としてしまうことがあります。これは膨大な情報の中から重要だと思うものだけを無意識に選び取る「フィルタリング」、つまり 選択的注意の結果であり、その具体的な現象の一つが上述した 非注意盲目(Inattentional Blindness) です。

あるはずのものが見えていない、つまり視覚からの情報の一部が脳のフィルタリングによって除去されるという現象が当たり前のように起こっているのです。

RAS(脳幹毛様賦活系):脳のフィルター機能

RAS(ラス)は「Reticular Activating System」の略で​、脳幹網様体賦活系(のうかんもうようたいふかつけい)という脳幹の覚醒や注意に関わる神経系に分類されます。

RASの機能を簡単に表現すると、膨大な情報の中から重要だと思う情報だけを無意識に感知するフィルター機能と言えます。例えば「海外旅行に行きたい」と考えた途端、海外に関する情報が目につくようになったり、赤い車を意識すると赤い車を目にする回数が増える、などです。同じようにネガティブな感情「今日はツイてない」と感じると、失敗や運の悪い情報ばかり目につくということが起こります。

前述した「選択的注意」は、RASが働いた上で意識に上がってきた情報に対して起こるフィルターです。

自分が興味を持つ事柄や気になる物事、そのように意識した情報を優先的にキャッチするフィルターを私たちは持っているのです。もちろん、そのフィルターは人それぞれで違います。目の前に同じ状況があっても、人それぞれに認識する出来事、すなわちフィルターを通過して意識に上がる現象は違うのです。

錯視——目に見えていても正しくは見ていない

「見る」という過程において、脳は情報処理をする段階で様々な解釈をしてしまいます。

錯視は、「目に映っているのに、脳の解釈によって実際とは異なる見え方が生じる」例の代表です。長さや大きさ、色の知覚が変わって見える現象は、入力の段階ではなく、脳内の処理・解釈の段階で生まれます。

上の図は代表的な錯視の一例です。みなさんも見たことがあるのではないでしょうか。錯視の多くは脳で発生しているとされています。視覚からの情報は、網膜に映し出され、網膜はその情報を、視神経を通じて脳に伝達しています。私たちが「目で見ている」という現象は、実際には目を通じて送られてきた情報を脳が処理することで、見ているということになります。錯視は、この情報処理の過程で脳が周囲の状況に応じた解釈することで、実際とは異なる見え方が生じる現象です

他にもたくさんの錯視があります。興味のある方はこちらのサイト(錯視効果34種類を紹介した記事はこちら (https://321web.link/optical-illusion/)にたくさん掲載されています。興味のある方はご参考にどうぞ。

見えないものの存在に疑問を持ち、”見えるものこそ信じることができる”という考えもあります。でも本当にそうでしょうか?錯視の例は、私たちが”見えているもの”ですら脳の解釈に左右されていることを示しています。

視覚からの情報の99%はカットされている

私たちは情報を視覚や嗅覚、聴覚など様々な感覚系から受け取ります。では視覚システムから取り入れた情報のうち、一体どれぐらいを私たちは認識しているのでしょうか?

カリフォルニア工科大学の神経科学研究チームによると、人間の脳における情報処理速度は1秒間にわずか10ビットという処理速度で動作していることが判明しました。これは現代のコンピュータと比較すると驚くほど低速です。人間の感覚器官は視覚システムだけでも1秒間に1000万ビット以上の情報を取り込んでいると言われていますので、視覚システムだけを考えても情報の約99パーセント以上がカットされていることになります。

このことから、私たちはいかに現実のごく一部分しか認識できていないのかということに気づく事ができると思います。

認識が”現実”を作る

私たちは全てを見て認識していると思いがちですが、視覚から得た膨大な情報は、まずRASによって無意識にフィルタリングされ、その上で選択的注意によって意識的に焦点が絞られることを知りました。実際、私たちが認識できる情報は入力のごく一部に過ぎません。そして、そのわずかな「見えているはずの1%」でさえ、周囲の状況や期待、感情に応じた脳の解釈によって歪むこと(例:錯覚など)があります。

これらのことは、現実は客観的に与えられるというよりも認識というフィルターを通して構成された主観的なものであるという考えを後押しします。

だからこそ、同じ出来事でも人によって意味や感情が異なり、様々な解釈(見方)があると言えるのではないでしょうか。

最後に

現実が主観的なものであるのならば、この現実を変える事はできないのでしょうか?

一つの方法としてRASを利用する方法があります。RASは無意識の編集者ですが、実はその編集方針を意識的に変更することができます。問いを変える、異なる角度から物事を見る、望む未来を具体的にイメージすることで、RASの編集方針は少しずつ書き換えられます。フィルターを意識的に選び直すことは、見える世界の質を変える試みとなります。

またEPISODE3でお話した認識のフィルター(認知の歪みなど)が働いてしまう事に気づくことで、この感情は歪んでいないかどうか?を判断できるようになります。その際に沸き上がる感情を変化させることができれば、あなたはこの現実の見え方をほんの少しだけかもしれませんが、変える事ができるでしょう。

認識の旅のスタート(EPISODE1)で、この世界の物質は実は局在する固く形のある物資ではなく、エネルギーであり、波であるというお話をしました。しかし、私たちは量子力学で明らかになってもまだ、そのエネルギーを”固い物質”と認識し理解することを疑いません。これは脳が”これは固い物質である”という認識のフィルターをかけているからにほかなりません。そしてこれらのフィルターは、この世界が矛盾なく、物質的に安定性を最優先に認識して生きていくために必要なもの、私たちが無条件に受け入れていたものだったのです。

私たちは現実をそのまま見ているのではなく、認識という様々なフィルターを通して”意味づけされた世界”を生きています。だからこそ、そのフィルターを意識的に選び直すことで、私たちは現実そのものを変えていけるのです。

ぴりか369
猫ちゃんとの奮闘やガーデニングを通して自分を見つめ直す毎日を発信します。
大好きな心理学・哲学的アプローチにより自己探求を続け、自由に生きるライフスタイルを模索中。
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